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2014年6月17日 - 千葉で安心の出産をするなら武田助産院

tel:047-488-0311

私の出産記

2014年6月17日

公開日:2015年03月14日(土)

妊娠がわかったのが2013年の10月でした。
夫婦で忙しく仕事をしている中、それは幸せな出来事で、これから自分たちが親になるんだという責任感とともに、大きな喜びを感じていました。
けれど、産休に入るまでは無理をしてばかりでした。お腹に満足に話しかけることができず、仕事のストレスや緊張に体のパワーをうばわれていました。

そんな中でも、トラブルなくスクスクと大きくなってくれた子どもに、本当に感謝しています。
「あぁ、今日はとってもツカれた…お腹の子は大丈夫かな? 元気かな?」と心の中で想うと、決まって「ポコン」と胎動を返してくれる、そんな子でした。
YMCは自宅から近いのと、助産院での切開をしない出産を強く推していた母のすすめから決めました。
はじめは夫の立ち合いなんて「とんでもない!」という感覚だったのですが、武田先生の健診に二人で通い、子どもの成長や出産について二人でわかち合っていくうちに、立ち合ってもらうことはごく自然なことのようにとらえ方が変わっていました。

後に出産日となった日の前日、武田先生の健診がありました。子宮頸管が5~6センチとすごい厚さ、子宮口も開いてはおらず…。
予定日なのにな~と2人でトボトボと帰宅し、けれど「やれることはやってみよう」という夫の言葉から、焼き肉、オロナミンC(おいしかった…!)長~いウォーキングを実行。
「いや~、焼き肉おいしかったね!」なんて話していたその日の夜に、今までに感じたことのない痛みがやってきました。

間隔は6~7分…でもこんな痛みじゃないだろうと、マンガを読んでいたら、そんな余裕もなくなる程の痛みへ…。
先生に電話し、「一応来てごらん」と言ってもらってYMCへ。内診した武田先生、「え~! すばらしい!」。私「えっ?」何と前日ぶ厚く固かった子宮頸管が、全くなくなっているとのこと。
人の身体ってふしぎだね~と、しみじみ思っていると、陣痛がどんどん強くなっていきました。
ここからは夫が大活躍、23時00分から4時00分まで、痛みに合わせて私の腰をさすってくれました。
しかし想像を超える痛み。本当にぶっとんでしまいそうでした。

けれど「イタイ!」と考えてしまうと、どんどん痛みワールドへと行ってしまいそうだったので、夫の顔を見たり、全く関係のないことを考えたりしていました。武田先生が心音を聞きに来てくれ、子どもも頑張っていることを教えてもらいました。

いよいよ痛みは1分間隔へ…分娩台へもやっとの思いで上り、いきんでも良いとの先生の言葉。とんでもない痛みで、何度も意識がとびかけました。けれど武田先生の「ガンバレ!」にどんなにはげまされたか。そうだ、ずっと会いたかったこの子にやっと会える。私が産むんだ、もうどうなってもいいという境地で、死ぬ気でいきみました。
心配そうに私をうちわであおいでくれている夫、すごく優しい声でリードしてくれる大谷先生、とにかく指示通りに頑張ろうと必死でした。
どれくらいいきんだでしょうか。私のお腹の上に白い大きな紙がひかれ、武田先生、大谷先生もせわしなく動いている…。いよいよ産まれる! と思ってからはいろんな気持ちがこみ上げました。
さいごの「ファーだよ、ファー、ファー」では、ゆっくり子どもが出てくるのを感じました。
「産まれた~おめでとう!!」と大谷先生、武田先生に言われると、やっと会えた喜びでジーン…夫は目をうるませていました。
かわいい赤ちゃんと夫と3人で頭をつき合わせ、あぁ家族になったんだと、本当に幸せな気持ちでした。

へその緒を切らせてもらってありがとうございました。喜びと達成感にひたっていたのも1日目まで…。
2日目からは1日中赤ちゃんと一緒の生活。
お乳が足りず熱を出したり、泣き止まない赤ちゃんとのお互いに必死な毎日でした。
どーんとかまえていられたらよかったのですが…、母乳をあげたかったけれど、先生と相談してミルクも足すことに。
グビグビ飲んで満足気な赤ちゃんを見ると、3日目には何だか自分がなさけなくなって、「ごめんね~」と泣いてしまいました。キョトンとして顔でそれを見つめていた赤ちゃん。
根気強く吸わせれば出るよ。はじめはそうだよ。と先生たちにはげましてもらって、よし、クヨクヨしないぞ! と立ち直りました。
これからはじまる育児生活、たくさんのハードルやカベがありそう…ですが、超えていくための下地を、この4日間でつけさせてもらった気がします!
(赤子片手に食事を採った経験も貴重です)そうそうお食事、身体によくバリエーション豊かでとても美味でした。毎回ルンルンでした! レシピ教えて頂きたいです…母乳によいメニュー、とっても参考になりました。